山羊の小骨読書会

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「積極的に受け身になるー生活史調査で聞くこと、聞かないこと」

こんにちは、小丸子です。

岸政彦先生の朝カルを受講しました!

 

この日は、朝から雨で、ほんとだったら無印と100均行って、来週からいるものとか揃えようと思っていたのですが…雨ってや〜ですね。

 

受講した「積極的に受け身になるー生活史調査で聞くこと、聞かないこと」では、

生活史調査をするうえで大切なことについてたくさん学ばせていただきました。

生活史調査だけでなくて、人と関わる上で大切なことも改めて教わったように思っています。

 

語りを聞くにあたって、「人生のすべて」だとか、「正直な、本当の気持ち」を聞くことはできないと知ること、それができないからといって意味がないわけではないことを知ることは、ほんっっっっっとうに大事なことだと思います。

 

たくさん聞いて、背景や構造、歴史を調べて、理論を持ってして、ごくごく一部の、たまたま語られた感情や経験、記憶の断片を得ることができるんですね。

 

なんかむっちゃ誠実やんな、と思いました。

ホンマに自分、まとめ方とか書き方が雑でいやになるんですが、むっちゃ誠実な向き合い方やと思いました。

 

また、同僚とか、周りの人への好き嫌いは激しいタイプだけど、語り手のことを、語りを聞いて嫌いになったことは一度もない、という話が印象に残っています。

 

語りを聞いていて、「ほんで思い出したけど」や「そういえば〜」と出てくる話が興味深いのは不思議ですよね。その人自身も、明確に言語化できないところに、興味深いことがあったりして、うかうか聞いてたらアカンなと思わされました。

 

「意識して無意識なる」

「能動的に受動的になる」

「積極的に消極的になる」

 

これらが聞き手にとってもっとも大事なこととして話されていました。

「聞き出す」「引き出す」のではなくて、「教えてもらう」立場をずえっっったいに捨ててはいけないと肝に命じました。

 

「他人の人生を自分語りの手段にしない」ということも、本当に大事なことで、生活史調査においてだけじゃなくても、気をつけたいことだと思いました。

 

受講したあと、あらためて、150人がひとりにひとりずつ聞き取りを行う『東京の生活史』プロジェクトめちゃくちゃおもしろそうやな…すごいな…と思っていました。

 

インターネットで公開はしてるものの、誰も読んでへんと思ってるので、感想なのかメモなのかよく分からへんことをつらつら書いてしまいました。

 

大学のとき、おじいちゃんのライフヒストリーを聞いたときのこととか、修学旅行で京都に来ていた沖縄の中学生たちと1日過ごしたときに感じた猛烈なうしろめたさのことだとか、買い物依存症?になってる団地のおばあちゃんとのやり取りだとか、引きこもり?のまま亡くなってしまったおじさんのこととか、なんか自分の中でちゃんと言葉にしたいこといっぱいあるけど、全然うまくできひんので、できるように頑張ってみたい。

 

小丸子

感想文⑥ 植本一子『個人的な三月ーコロナジャーナルー』

こんにちは、小丸子です。 

今日は、今年20歳になった妹の、成人式の前撮りでした。

 

わたしはいちおう、年齢としては大人だと思うんですけど、まだまだ気持ちが赤ちゃんなので困っています。どうにかならんかな。

 

今日、感想文を書こうとしている本の著者、植本一子さんは、わたしの尊敬する大人の1人です。2016年に発行された『かなわない』も私にとって大切な本なので、すこしふれたいと思います。

『かなわない』では、震災直後の不安を抱えながらの生活、育児に対する葛藤、新しい恋愛…そのときどきを生活をするうえでの様々なことが、ありのままに、淡々と綴られています。

生活のことをなぞるように書かれた文章に、めちゃくちゃ心を打たれました……。

 

その、植本一子さんが、コロナだ自粛だ、でワタワタしていた今年の3月に書いておられた日記が『個人的な三月ーコロナジャーナルー』です。

 

めちゃくちゃ個人的な話ですが、わたしは今年の4月末で新卒で就職した会社を辞めたんですよね。なので、この本は転職先も決めずに退職して、世の中もワタワタしていて、なんやよく分からんがわたしどうなるんやろう、というときに手に取った本であり、思い入れがすごくある一冊です。

 

なんやよく分からんがワタワタしていたあの頃、今がワタワタしていないわけではないし、当時と今を分けて語ることがよいのかも分からないけど、当時を思い返しながら、あらためて読んでいました。

 

きわめて個人的な日記を手に取ることができて、読むことができて、わたしはとてもありがたいと思います。

 

身の回りの生活のことを「書く」ことを通して、こんなふうに残せることってすごく素晴らしいし、植本さんに書いてもらえる人たちがとても羨ましいとさえ思いました。

挿入されている写真がめちゃめちゃいいんですよね…娘さんたちの写真とかもすごくいいです。

 

この本の最後に、「書くことは暴力行為にもなりうる」と懸念したうえで、慎重に、でも正直に書きたいという旨のことが書いてありました。

大事な相手を傷つけてはいけないと、書かず、掘り下げず、していたことを、この人となら何か書けるようになるかもしれない、という内容に、ウワア…!!!!と思いました。

地に足をつけて、大切なものをちゃんと大切にしている、しようとしている人じゃないと書けないことだと思いました。

 

わたしもホンマ…ちゃんとせな……

 

「ちゃんと」ってなんやねんって感じなんですけど、ちゃんと生きたいなァ!

 

小丸子

感想文⑤ 山岸涼子『天人唐草 自選作品集』

こんばんは、小丸子です!

小丸子というのは、わたしの大好きな「ちびまる子ちゃん」が中国語ではそういうらしい、とさいきん知ったので、なんかええなと思い名乗っています。照

 

前回の読書会で、ゆひらから借りた山岸涼子さんの『天人唐草 自選作品集』のことを書きます。

わたし、漫画といえば「ちびまる子ちゃん」「あたしンち」「うちの3姉妹」だとか、ほのぼのした嬉しいやつしか、自分で買って読んだことがなくて、「こんなん…怖…つら…」と思いながら読み進めました。

これがりぼんに載ってたんや………。

わたしはちゃおっ娘なので……。(ちゃおは全ページ全力で恋をしています。)

先日、友人と「この気持ちは、ちゃおっ娘やったアンタには分からんわ、あたしりぼん読んでたもん。」という会話がありました。

子供のころに取り入れた価値観って、自分の中でけっこう大きくなるものですね。

 

この本のテーマについて、巻末の解説で中島らもさんが「迷い子である」と述べています。

タイトルにもなっている「天人唐草」は、「女の子/女性はこうあるべき」という価値観を押し付けられ、従おうと無理をして生きる人の話です。

その価値観を与えてきた親がいなくなった後、その人は狂気の沙汰に陥ります。

「キェー」と言いながら空港を歩いていました。

 

わたしは母親が結構厳しい人だったのですが、主人公の幼少期の「いい子と思われるように」と無理をする場面が、自分と重なるようでつらかったです。

あ〜自分かわいそう❗️主人公もかわいそう❗️と思いました。

 

つらいことを強いるだけ強いて、当の親は自分より先に死んだり、勝手に考えを改めたりして、子供の自分だけが、つらかったことを鮮明に心に残して、なにを憎んで、これから自分はどうしたらええねん…とウワアアという気持ちになりました。

主人公と同様に、わたしも迷い子です。

 

作品集の中のどの作品も、主人公に逃げ場や救われるところがありません。

(ひとつだけあったのですが、他の作品と比べてその結末がどういう意味を持つのか考えられていません…う〜んむずかしい)

解説で、中島らもさんも言うてましたけど、「道しるべはない、それが正しい」そうです。

 

強く、たのしく、健やかに生きていけるよう頑張りましょうね!!!

 

小丸子

 

 

 

 

 

 

感想文④ 山崎ナオコーラ『指先からソーダ』

 ゆひらです。こんばんは。

 最近急に涼しくなりましたね。秋服着るのが楽しみだな~

 なんで一年に一度は秋を迎えているはずなのに、この時期になるたびに、自分は秋に着る服を一着も持っていない、みたいな気分になるんでしょうね。 

 今日は山崎ナオコーラさんのエッセイの感想文です。小丸子が借してくれました。ありがとう。短い作品がたくさん入っているので、今回は「あきらめるのが好き」という題のエッセイに限定して感想文を書きます。どれも面白いからシリーズものにしようかな。

 自然児、山崎ナオコーラさんは、あきらめるのが好きらしい。そんなこと考えたこともなかった。けど言われたら分かる気もする。そういう発見はたのしい。
 もちろんあきらめること自体からは毎度すごくダメージを受けてしまうけど、何かをあきらめるたびに残された自分がだんだん鋭くなってきて、進化したみたいな気分になる。矛盾だ。そういう時に、今まで自分を動かしていたのは、あきらめたくないっていうバイアスだけだったんだなということに気付く。こういうことは学校では教えてくれない。

 あと、これは効率よくやっていこう、みたいなことを始めに思ったことって、大体続いてないなと最近思った。振り返ってみれば10代後半くらいからの僕は本当にたくさんのことをやり残していて、人生の道中のそこら中にやり残されたことが墓石みたいに散らばっている。何に対してか分からないが申し訳なくなる。じゃあ何だったら続くんだと考えてみると、逆に長いこと続けてこられたものは、効率とか達成を度外視してズルズル続けてきたものばかりだなと思う。やってはいる。やめてはいない。みたいなこと。
 「あきらめる」の語源は「明らかになる」ということらしい。昔の人はえらい。服を脱ぎ捨てるみたいにいろんなことをあきらめて、だんだん自分のことが明らかになってきているんだな、と思う。

 

ゆひら

感想文③ 高野雀『After the Party』

 ゆひらです。こんばんは。

 9月も折り返しですね。9月のうちにジャンゴラインハルトの「September Song」を弾けたらいいなと思って、急に練習を始めました。全然まにあわないだろうな。

 今日は小丸子が借してくれた高野雀さん著「After the Party」についてです。殴り書きみたいになってごめんなさい。脱線した話が脱線したまま、別の区画に突っ込んだところでおしまい、みたいな恰好になってしまった。

 震災の年の三宮を描いた作品だけど、お話の見えている部分には感傷っぽいものが一切なく、その分ささいな描写がとてもリアルでした。むしろあったかさがにじみでていて、人の営みだなあ、と思った。

 「阪急梅田駅はこの頃すでに自動改札でしたが、JRは駅員さんに(切符を)見せる形」という風に、当時の何気ない光景についての注釈がたくさんあって、地元再発見な気分になった。以前から直接的に本人と関わり合ってはいるけど正直なところを言えば何を考えているのかよく分からなかった人が、第三者づてにちょっとした過去の話を聞いたことをきっかけになんだか急に奥ゆかしく見えてきた、みたいな感じだ。巻末のコメントに「これはまぎれもないフィクションです」と書いてあったけど、複数日の実体験を混ぜ合わせた、とも書いてあったので、そうであるのならこのお話はまぎれもないノンフィクションともいえる。

 彼氏は元気にしているかと尋ねられた高野雀さんが、死んだ、と冗談で答える96年式不謹慎ジョークにちょっと感動してしまった。こういうジョークって今は通用しないだろうな。SNS上に浮かんでは消えていく世論が矛先を求めて風見鶏みたいにくるくる回っていて、そういう人たちの意見について、冗談が通じない、と感じる時がある。インターネットが発達して誰もが声をあげられるのが現代社会ということだけど、その分お互いの監視が厳しすぎて、ねじを締めすぎてかえって自由に手足を動かせなくなった関節人形みたいだ。やたらと過敏になることが想像力を働かせることなのだろうか、と以前そういう内容のことを考えたことがあって、96年式ジョークのシーンを見てたぶんそういうことじゃないだろうなとやっぱり思った。

 「After the Party」というタイトルだけど、パーティーは震災? それとも会話の中にノストラダムスの大予言が登場していたから、もしかしたら1999年以降がポスト・パーティーなのかもしれない。ノストラダムスの大予言について、正面切って信じていますとは言えなかったけど内心ちょっとだけ信じていた、というような気分を各方面から聞く。それってどんなだろう。世界は21世紀を迎えることなく終わりますよなんて、いかにも非現実的だし悲観的な考え方だけど、ちょっとわくわくしそうだ。空き缶のポイ捨てとか歩きたばこは当たり前、ということもこみこみで、社会全体が今よりもっとおおらかというかいい加減というか、心の余裕があるように感じる。

 最後にお話しとは関係ないけど、この作品は2019年12月初版発行ということなので、(表面上は)世間にまだ新型コロナウイルスが登場していなかった頃だ。その前とその後とでは、人の天災に対する感じ方は随分変わったんじゃないかと思う。たぶんぜったい。その発見が具体的にどういう意味なのかはよく分からないけど。

 

ゆひら

 

感想文② 絲山秋子『海の仙人』

いつやったかな、カレンダー見て確認しました。7月の下旬ごろでした。記念すべき第1回読書会で借りた本のことを書きます。

 

私はこの本の表紙がすごく好きで、借りている間、会社に持って行って、休み時間だとかに読んでたんですけど、お弁当カバンの一番上にのせて、よく見えるようにしていました。すごく綺麗な色の表紙です。

 

〜という話!ってあらすじのようなことを言い切ってしまうのはとても難しいです。

結局のところ、どういう話だったのかよくわかっていないからでしょうか。

でも、読んでて、自分の持ってる考えだとか、気持ちに気付いたり、友達のことを思い出したりして、読めて良かったな、みたいな気持ちになりました。

 

河野っていう男とかりんって女の人が出てくるんですけど、

2人の関わりかたについて、河野が「彼女が放る柔らかいカーブの球をいつも見逃した」みたいなことを言ってました。

「彼女が放る柔らかいカーブの球」って言葉すごくいいなっていうのがずっと残っています。

 

柔らかいカーブの球を放るようなコミュニケーション、取っていきたいな……どうか見逃さないで……

 

小丸子

感想文① 岸政彦『ビニール傘』

 思い出について。何でこんなことを覚えているのだろう、ということばかりを覚えている。そしてそういうことに限ってその日の天気とか、自分以外の誰かが着ていた服とか、はじめどんな挨拶をしたのかとか、そういうどうでもいいようなことを異様なくらいに覚えている。逆にみんなで集まってBBQをしたとか、花火をしたとか、そういう時のことはあまり覚えていない。もちろん写真を見て、あーこんなこともあったなと思うこともあるにはあるけど、知らない誰かの記憶を覗き見しているような気分になって、変な感じがする。
 この本を読んで、何でこんなことを覚えているのだろう、と思う時と似たような気分になった。心地よくさーっと読み通して、いざ内容を思い返そうとしてみても、雲を掴むみたいでむずかしい。何とか断片のひとつを思い出せたとしても、頭の中で他の断片とうまく結びつかない。岸さんは文学的下処理の段階で、生け捕りにしてきた光景のひとつひとつに手を差し入れて、そこに秘められた(たぶん)淡いピンク色の光を放つ、意味の核みたいなものを綺麗に抜き去ってしまったのかも知れない。料理人が長い刺身包丁を使って魚のわたを抜き取るみたいに。なぜそんなことをする必要があったのか、それは岸さんにしか分からない。
 でもそれでいいのかもしれない。見方を変えれば、この作品自体が街の思い出みたいだなと思った。どこからともなく人がやってきて、生きて、ある日死んで、誰もいない部屋だけが残る。そこにまた誰かがやってきて、生きて死ぬ。そういう繰り返しを、街は時々意味もなく覚えている。それは素敵なことだと思う。

 

ゆひら